2011年3月24日木曜日

震災から学ばなければいけない

久々の更新です。

しばらく更新していませんでしたので、震災のこともありご心配をして頂き連絡を何件か頂きました。

今月は何かと忙しく、ただ単に更新をしていなかったのですが、先の地震でいろいろと考えること、日々更新される死者・行方不明者に気分がめいってしまいました。

■人は死者が1000人を超えてくると、人の死ということに対しての想像・受け入れが出来なくなってくるそうです。亡くなられた方々や残された人々のことに心が痛む一方、事実想像が超えている。

■現在は福島原発のことが連日報道されている。
放射能汚染が心配され現在進行形の現在まだまだ都内は混乱している。
これが天災なのだと受け入れなければいけない。

東電の責任、政府の責任など事態が収拾し始めてからのバッシングは相当なものであろう。
事業者の責任は当然だと思う。
しかし報道で想定が甘かったとか言われており事実そうなのだが、想定とコストは密接に関係している。
絶対的に安全にしなければいけない一方で電気料金を上げないようにコストとの戦いの結果生み出されている。
われわれの仕事でも同じようなことが求められるからよく分かる。
コストと安全のバランスを考えるのに神経を使う。そんな中で自分の決断に責任と覚悟をもって設計していくしかないと改めて考えさせられる。

一番複雑な思いに駆られているのは原発のある大熊町、双葉町の方々だと思う。
私が生まれる前から稼働している原発は既に町のシンボル的なものになっていただろうし、当たり前になっていたもので、当然そこから生まれる雇用・仕事・税金等による恩恵も受け、関東のライフラインをつくり出しているというプライドもあったはずだ。
原発を受け入れ原発とともに生きてきた町にとっては、被害を受ける一方原発がなくなってしまうことに対してはわれわれが思う以上に複雑な心境なのだろうと思う。

いずれにせよこれから新しく原発を受け入れる自治体は近い未来ないであろう。

■ここ何年か前に安藤忠雄さんの記事を読んだ時、公共事業の削減について述べていた記事があった。モノから人へと転換するぞと政権が交代した時の話だ。公共事業の削減によって倒産廃業が頻発していた建築業界だが、災害の多い日本で建築業を追いこんでしまうのは将来日本にとって大きな痛手になると安藤さんはこれに苦言を呈していたことを思い出した。これからが大変である。

■津波での被害だけではなく建物の倒壊による被害はあまり報道されていない。損傷はしているものの倒壊は少ない模様。阪神大震災によって現在の新耐震設計と呼ばれる新基準以前の建物(1981年)の倒壊がほとんどであることの教訓から多くとはいわないが重要な建物は耐震化されてきている。新耐震設計も震災後は強化された。人が自然に技術で抗うことで救われている命も多くある。

■われわれが出来ること。まずは正しいルートで募金を行うこと。
被災者のことを考えて日々の生活を送ること。自分を律すること。
真剣に想像する努力をしている人は電気の垂れ流しや買い占めは出来ないはずだ。
茨城産福島産など東北産、千葉産のものどんどん買いましょう。売上が税金になり復興支援に行くでしょう。

われわれは日本人だから想像力は豊かなはず。がんばろう日本。

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