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2011年4月13日水曜日

一日も早く

深刻な事態が続く日々。
余震もまだまだ続いてる。

僕自身はおかげさまでいろいろと忙しくさせて頂いている。
で、更新遅れ気味。

そんななかこんな風景に出会う。


世の中が大変な時にもこんな時間が流れている空間もある。

一日でも早く皆さんがこんな日常に出会えることができることを願います。

2011年3月24日木曜日

震災から学ばなければいけない

久々の更新です。

しばらく更新していませんでしたので、震災のこともありご心配をして頂き連絡を何件か頂きました。

今月は何かと忙しく、ただ単に更新をしていなかったのですが、先の地震でいろいろと考えること、日々更新される死者・行方不明者に気分がめいってしまいました。

■人は死者が1000人を超えてくると、人の死ということに対しての想像・受け入れが出来なくなってくるそうです。亡くなられた方々や残された人々のことに心が痛む一方、事実想像が超えている。

■現在は福島原発のことが連日報道されている。
放射能汚染が心配され現在進行形の現在まだまだ都内は混乱している。
これが天災なのだと受け入れなければいけない。

東電の責任、政府の責任など事態が収拾し始めてからのバッシングは相当なものであろう。
事業者の責任は当然だと思う。
しかし報道で想定が甘かったとか言われており事実そうなのだが、想定とコストは密接に関係している。
絶対的に安全にしなければいけない一方で電気料金を上げないようにコストとの戦いの結果生み出されている。
われわれの仕事でも同じようなことが求められるからよく分かる。
コストと安全のバランスを考えるのに神経を使う。そんな中で自分の決断に責任と覚悟をもって設計していくしかないと改めて考えさせられる。

一番複雑な思いに駆られているのは原発のある大熊町、双葉町の方々だと思う。
私が生まれる前から稼働している原発は既に町のシンボル的なものになっていただろうし、当たり前になっていたもので、当然そこから生まれる雇用・仕事・税金等による恩恵も受け、関東のライフラインをつくり出しているというプライドもあったはずだ。
原発を受け入れ原発とともに生きてきた町にとっては、被害を受ける一方原発がなくなってしまうことに対してはわれわれが思う以上に複雑な心境なのだろうと思う。

いずれにせよこれから新しく原発を受け入れる自治体は近い未来ないであろう。

■ここ何年か前に安藤忠雄さんの記事を読んだ時、公共事業の削減について述べていた記事があった。モノから人へと転換するぞと政権が交代した時の話だ。公共事業の削減によって倒産廃業が頻発していた建築業界だが、災害の多い日本で建築業を追いこんでしまうのは将来日本にとって大きな痛手になると安藤さんはこれに苦言を呈していたことを思い出した。これからが大変である。

■津波での被害だけではなく建物の倒壊による被害はあまり報道されていない。損傷はしているものの倒壊は少ない模様。阪神大震災によって現在の新耐震設計と呼ばれる新基準以前の建物(1981年)の倒壊がほとんどであることの教訓から多くとはいわないが重要な建物は耐震化されてきている。新耐震設計も震災後は強化された。人が自然に技術で抗うことで救われている命も多くある。

■われわれが出来ること。まずは正しいルートで募金を行うこと。
被災者のことを考えて日々の生活を送ること。自分を律すること。
真剣に想像する努力をしている人は電気の垂れ流しや買い占めは出来ないはずだ。
茨城産福島産など東北産、千葉産のものどんどん買いましょう。売上が税金になり復興支援に行くでしょう。

われわれは日本人だから想像力は豊かなはず。がんばろう日本。

2011年1月21日金曜日

斬新

パソコン上の撮り散らかした写真を整理していたら甥っ子がとったであろうと思われる写真を発見した。





斬新な構図?
子供にはこう見えているのかとあらためて思う。

自分も通ってきた視線なのにすっかり忘れている。
それが新しい世界や構図に思えるのか。
どんぶりと湯のみが建築に見える。湯のみの中にスロープが見える。。
ブリッジを渡したくなる。。

身近な所に見方を変えれば新しい世界があるのだと改めて思う。

頭を柔らかくせねば。

2010年12月14日火曜日

無音

以前に音楽家のお客さんに教えて頂いたあるコンサートが気になって検索をしてみたら該当する動画を発見。

「4'33''」

4分33秒の無音。静寂。

つまり4分33秒の間楽器の前で何もしないという作品です。





残念ながら理解出来ず。これで勝負ですか?金返せー。と突っ込みたくなる。

趣旨等は十分に理解出来るのですが。

無音や静寂は時には安定を、時には虚無をもたらします。特に無音の時間に左右される。

4'33''という時間だからこそ作品になり得るのかもしれません。

芸術は誰かと思いや哲学など共有出来ることが無ければ評価はされません。

音を出さないようにと緊張している客の雰囲気と一体感の空間と時間の共有が本当の狙いなのかもしれませんね。

2010年11月30日火曜日

はや師走

いつの間にか11月も終わり、残り一ヶ月となってしまいました。

現在は事務所でこつこつと建物の計画と関係所管周り。
計画は描いてはボツ、描いてはボツと結構生産的ではありませんが、致し方なし。
やっぱりいいものつくりたいし。

ただ事務所に居てばかりでは考えがなかなか柔らかくならないので時々散歩や喫茶店に出かけたりもする。
それでもいいアイデアが出ない時はしばらくほったらかしにしておく。

これが以外と自然に考えを整理している事になっててなんで気がつかなかった!という事が生まれてくる事があります。

また、逆もあります。
サッとかけてしまったプランは何日か寝かしておいて、再び見る。
ここで違和感を感じたらボツ。

という繰り返しです。

もの作りは何でもそうだとは思っているのですが、作っている最中にこりゃダメだ!とおもってもとりあえず最後までダメはダメなりに作ってみる。そうして小さな発見をする。20代でこれを学んだ。

やたらと時間がかかるので才能ないなぁと思っているのですが、知り合いの著名な建築家と雑談しても同じらしい。これは建物の大小あまり関係なく、時間をかけなければ分からない事もある。

という事で設計事務所は一般的に不夜城である事が普通。
40歳、50歳の人でも普通に徹夜している。

みんな努力してんだなぁ。と思いながら徹夜の際は自分を鼓舞。

なんだかよくわからない内容になってしまいましたが明日からは12月。
昨年の末に事務所を開設してはや1年が過ぎてしまいした。

今年も残り1ヶ月。気合い入れ直しです。

2010年10月20日水曜日

DVD

久々にDVDを借りて鑑賞。
タイトルは前から見たかった「火天の城」。
我が故郷の安土に建立されていた幻の名城安土城建設の棟梁、岡部又右衛門を描いた作品です。

話自体は面白かったのですが、又右衛門が書く西洋式の遠近法のスケッチに違和感を感じ、忍者シーンのワイヤーアクションで一気に興醒めしてしまいました。余計なことを。。。
小説が面白そうです。

宣教師のルイス・フロイスは安土城を訪れた際の印象を母国に送っています。
ヨーロッパでも類を見ないほどの巨大で豪華絢爛の城と伝えているほどの巨大建築だったようです。
諸説ありますが、本能寺の変後に息子が放火をして消失したとか。わずか3年しかこの世になかった城です。

城ほどの巨大建築を木造建築で建てる事は現代ではありません。
軍事目的の城は当時鉄筋コンクリートが日本にあれば間違いなく鉄筋コンクリートで建てられていたでしょう。

火災や耐久性の問題から木造から鉄筋コンクリートに建物が変わり、現代に至るのですが木造建築だから出来た様式美、日本人の心の中に建物はやはり木造で。という心はあるように思います。

日本の近代の建築教育は実は木造建築に関してはほとんどなく、鉄筋コンクリートと鉄骨が主体で一級建築士の試験においても木造が問われる事はほとんど皆無です。

しかし、木が好きという心は皆の中にくすぶっていて、現在木造で大規模建物を造る試みは始まっています。防火性能や構造性能が技術で向上してきた事、国策で始めた杉の植林の伐採期が来た事にも理由があります。
これからの時代は日本建築の原点回帰、木造建築です。

また、一時期の森林破壊からよく思われていなかった木材伐採。自分が家を建てる時は立派な木がいいです。と矛盾した意見をよく聞きますが、国内や多くの輸入木材においては伐採・植林のサイクルシステムが出来てきた事も安心材料です。

50年から100年後の未来日本にはビジネスマンの城、オフィスビルが木造で建てられる想像もしていない都市になっているかも?

2010年10月5日火曜日

自然採光

町中でこんな物を見つけました。


屋根の上に不思議な物体があることが分かりますか?
宇宙と更新している訳ではありません。

これは「ひまわり」という商品名で自然光を集光して光ファイバーで建物内の専用照明器具に光を伝えるものです。
ガラスドーム内の集光装置が太陽光を自動追尾するのでひまわりと名付けたのでしょう。
電力で光る訳ではないのでエコ。でも自動追尾は電力を使うらしい。

立派な日本家屋に不思議な光景・・・
大きな家屋は確かに建物中心が非常に暗いので明るくしたいとの思いで設置されたのでしょう。ただ矢追純一的デザインが違和感を覚えるのですが、見方を変えればCooljapan?

昔の家屋や神殿は中が暗いのです。しかし外側の窓や障子を解放する事で感覚的な明るさと、陰陽を感じながらいい空間が出来ていたのですが現代においては建物の密集具合や高い所から覗かれるという事もあって昔のようにはいきません。

また、日本の都市計画では道路からのセットバックする町並みが一般的です。欧州あたりの都市では道路側まで建物をせり出し、中庭を設けて採光を得る事が一般的です。これには火災に弱い木造建築の特徴(延焼防止)と、街の天空を個人で考えるのか集団で考えるのかといった違いがあるのかもしれません。

セットバックによって追いやられた建物は一カ所にギュッと建てる事となり欧州のような中庭タイプの住宅は少なかったのです。近年では建物の防火性能が上がった事と、雨漏れから避けられていたトップライトの性能が上がった事で自然光を取り入れる事の設計上の工夫はしやすくなりました。

陰を嫌うのは情報の獲得や作業をする時に暗いと難しいから。でも最近のデジタル化から情報を得るもの、作業をするものなどはパソコンに集約され、それ自体が発光しています。現代においての新しい陰陽を楽しめる器が提案できるのかも知れません。

2010年9月15日水曜日

人には得手不得手がある!

僕は文字を書く事が大の苦手である。特に漢字は大の苦手。
小さい頃から極端に漢字の成績だけ悪かったし、誤字は当たり前。
といっても読むのは平気なんです。書く事が極端に悪い。全く思い出せない。
書く文字がわからないことが多いので当然字は下手である。消しゴムと修正液はお友達。

大人になっても書く事、漢字が苦手である事は変わらない。
社会人になって一番困ったのは、ルーキーはとりあえず書記にさせられる事。
当時はノートパソコンで議事を記録するのはメジャーじゃなかった。
漢字は書けないわ、字はきたないわでプレッシャーの毎日でした。

よく最近はパソコンの普及で漢字が書けないわ〜。そうそう。なんて会話がある。
僕はそんなレベルではない。おそらく小学校で習う漢字すらかけない時もある。
今でも手書きで手紙を書いたり、現場に指示を手書きでする際には知識がないように見えないように、電子辞書で漢字を確認する事しょっちゅうです。

今でも覚えてるのは、ツとシの違いを27歳まで使い分けられなかったし、Eとヨは今でもよく間違える。帰省の帰がかけなくて友達にからかわれることもあった。(仲がいいんで別にそれで嫌な思いはしてない。)

とりあえず音読みと文字が一致する日本語の優秀さには感謝しています。
漢字かけなくても、ひらがな・カタカナでとりあえず書けるから。
また、パソコンが普及した事にも感謝。読めるから文章を書く事に辛さはない。
文字のきたなさは漫画文字にする事でちょっとごまかし。マジックで書く事でわざと文字を潰して書くこともあり。

で、近年になって文明の利器であるネットで検索。
「ディスレクシア」という単語が出てきた。世の中には僕のような人は結構いるようだ。
診断を受けてないから分からないけど多分軽いディスレクシアなんだと思う。
そう思うと気がらくだし。

内容を読んでみると、
・とりあえず英語が苦手な傾向あり。→その通り!
・映像や立体の把握に優れている事が多い。→これは職業柄ちょっとうれしい。

ということだそうだ。
ディスレクシアであったとされる著名な建築家も多い。
・ガウディ、ライト、ローエといずれも巨匠だがこの手の話はとりあえず何でも著名人と結びつけようとするのであまり信じてない。

得手不得手があって当然でしょうと考える。
だって人間だもの。(相田みつを調)

2010年9月7日火曜日

線と面

人が感じる物の適度な厚さや太さ、美しい厚さや太さというものがあります。

時代が進むにつれ技術力が上がり、テレビを始め随分と薄くなってきました。
僕が関心を引くのはテレビ自体の厚さではなく、画面の縁、エッジの厚さです。

随分と薄くなりました。細くなったというべきか。
薄く出来ない場合は画面に見立てて黒の部分を増やしてエッジを細くしてデザイン上かっこ良く見せています。

apple製品では緩いカーブを使って淵を細くしています。薄く薄く美しく見せるデザイン上の技術なんでしょう。iPhone4では緩いカーブがなくなったのですが、これは本体自体が薄くなったのでそうしたのだと思います。

建築でも庇を薄く、手すりを細くする技術にみんな躍起です。美しく見せるために。
現代建築がより薄く、より細くそしてシンプルになってきているのは技術力が高まってきているからです。
工業製品ではエッジの細さで値段が違うという事にも気付きます。技術力が値段に出ているのです。

しかし薄く、細くは安心感を失うことにもなってしまいます。
バランスが大切です。

庇を薄くを追求したために板一枚というのを街で見かける事がありますが、これは薄すぎて美しくない。

おそらく線なのか面なのかどっち?という境界が美しく物を見せるのかなとも思います。
これはその対象自体のスケールによって違ってくるので結構難しい。

デザインをしていると、繊細に線と面を決めなければいけないと痛感するのです。

2010年8月14日土曜日

敷居

設計事務所に頼むのは敷居が高い・・。

よく聞く言葉です。

建築の相談を受けるときに正直に言ってくれる人も多いです。

敷居が高い理由として、、

1.まず設計料が高そう。そんなに高級な家を建てるわけじゃないんで設計事務所に頼むまでは・・。
2.デザイン重視で好き勝手にされそう。不便そう。
3.デザインや設計が気に食わない場合、断りづらそう。
4.やたらとインテリそう。
5.まず設計事務所に頼んだ時のシステムが良く解らん!
6.設計をして工務店の相見積もり。予定金額に収まらない場合は困りそうですが。。。

お答えします。

1.高級な家、安い家、どんなものでも設計します。特に本当に安い家にしたい場合はむしろ設計事務所に頼んだ方が、仕様の縛りが無いために安くなる知恵を出してくれます。

工務店とハウスメーカーと大きな違いは、工事監理業務という業務があるからです。
施主の立場で監理します。

2.建築家によるかもしれませんが、そうむちゃくちゃにはなりません。
まず機能ありきです。デザインを含めた新しい提案空間が、人によっては不便そうに映るかもしれません。施主がどのような機能や空間を望むのか、コミュニケーション次第です。

3.断られること。これは大概の建築家は慣れていますのでお気軽に。

4.建築家によりますが、いい人でフレンドリーな人は結構多いです!

5.ホームページに建築までの流れを説明していますので御覧ください。

6.経験上、予定金額内で最初の見積が収まることは無いです。
最初の見積からVE(仕様の代替え)などを繰り返して予算内に持って行きます。
最終的には工務店さんに安くしてよ!という力技もあります。
力技に持って行くには工務店さんの利益率を下げるということなので、作りたくなるような面白い家であることが必須条件ですが、あまり追い込んではいけません!
販売ではなく請負なので、綺麗に施工してもらうためのモチベーションに係わってきます。
時間はかかりますが、このようなことを繰り返し、コストパフォーマンスの良い家を建てることが出来ます。



ある雑誌のアンケートでは家を建てる予定の7割くらいが建築家と家を建てたいと望んでるらしいです。しかし現実は1割にもいかないようです。

住宅を建築家が設計すること。世界的には金持ちの住宅や別荘を設計することがほとんどです。
日本は人口あたりで見ると建築士や設計事務所の数が多く、中流家庭の住宅も設計する世界的にも珍しい国なんです。

日本の設計事務所は意外と敷居が低いのです。

2010年8月12日木曜日

景観を壊すもの

景観を壊すもので代表的な物の一つは看板。

ビル上にある看板、ビルから突き出た看板、交差点にある看板群。
香港のように看板が都市のアイデンティティーになっている例もある。
すべての看板がいけないとはこれっぽっちも思わないが、中国と違って元々派手な色を使わない日本の景観。景観を壊している事が多い。


センスの悪い看板はなおさらである。


ある事に気付く。

郊外に行けば看板のほとんどは病院じゃないか。。。しかも結構派手。
田舎の経済格差は顕著である。

主要幹線道路沿いには店舗の上や敷地内に大きな看板。
一応「屋外広告物条例」なる条例によって大きさ等の規制がどの地域でも制定されているけど、某紳士服系の店や本屋等でとんでもない大きさの看板を良く見る。これは条例を上手?に、あるいは規制の穴をついた産物である。
ある意味、目の暴力。

また、残念な事に看板のデザインをする方にも景観への配慮という意識が欠落している。景観への配慮を考えれば考えるほど仕事が出来なくなるので仕方のない事かもしれない。
設置する方の景観に対する倫理観で話すより、規制の仕方が日本は下手なんだと解釈する方が手っ取り早い。

建築の設計過程でも看板の設置位置を決める作業も物件によってはあります。
店舗オーナー、コンサルタントや設計者の中で店舗は目立つが勝ち。という人が多いのは事実。違和感を感じながら仕事をした事があるのも事実。

ド派手な看板が乱立する時代。
そろそろ少数派になって、別の方法で集客を考えた方がよくないですか?

2010年7月21日水曜日

時代と共に

以前にテレビを見ていたところ、昔医療で当たり前とされていたことも現代では研究の結果変わってきているそうだ。

例えば、外で膝や肘を擦りむいたとき、以前は消毒をして赤チンを塗ってガーゼが一般的だったけど、現在は水で流して、ラップみたいなもので傷を覆う。が有効だそうだ。

消毒をすると自身の治癒する分泌液をも殺してしまうらしい。ガーゼもその分泌液を吸ってしまうのでNGらしいのだ。(程度にもよるらしい。)

現在計画中の物件で、ある思いがあって正倉院からヒントが得られないかと再度調べたところ、昔習ったこととは間違いだとの記述が。

昔僕たちは正倉院などの校倉造断面三角形の材の校木を積み重ねた外壁は湿度が高いときには湿気を吸収して膨張し、積み重ねた部分の隙間がなくなって湿気のある空気を中に入れない。逆に空気が乾燥したときは収縮によって隙間ができ、通気をよくする。だから中の物の保存状態が良かった。なんてことを習ったと思う。

近年の研究では、正倉院くらい大きな建物の屋根荷重を受けた外壁は木材の乾燥収縮ごときで隙間が開くことはないそうだ。

実際に11年に渡る調査で中と外で大きな湿度の変化は見られなかったらしい。

では何故中の物の保存状態が良かったのかというと、杉などの箱に入っていたことが大きなポイントらしい。なんだか。。

自分が正しいと思っている知識は時代によっては変わってくる。

それは感性だって同じだ。建築だけを見ていても時代とは間違った方向に行ってしまう。

読書で哲学をし、新聞やネットで時代を知り、人と接して文化を学び、街で歴史を感じる。
そしてちょっと振り返る。

目まぐるしく変わる時代に敏感に、先見をもって建築に取り組まなければと思う日々です。

2010年7月17日土曜日

用語

建築に関する用語はカッコいい横文字が多い。

鉄筋コンクリート造では

・ジャンカ!
・コールドジョイント!
・エフロレッセンス!

トランスフォーマーに出てきそうな名前ですが、これらは残念ながらすべて欠陥の名前です。

鉄骨の溶接に関する言葉では

・ブローホール!
・オーバーラップ!
・アンダーカット!
・ポロシティ!
・ラメラテア!

どこぞやの走り屋のチーム名みたいですが、これらも残念ながらすべて欠陥の名前です。

木造は昔から日本にある工法なのであまり横文字がありません。

言葉のあまりのカッコよさに、監理時に欠陥を指摘するとき言ってて自分に酔ってします。。

横文字とは関係ありませんが、以前にエアコンを買いに家電量販店に行った際にエアコンの能力の目安が畳数で表されていたのですが、

・鉄筋造〇〇畳、鉄骨造〇〇畳、木造〇〇畳

鉄筋造て。。コンクリートは無いのでしょうか?かなりの欠陥。一度見てみたいです。
職業柄ツッコミたいところでした。

2010年7月12日月曜日

結婚式

先週の土曜日に友人の結婚式に出席するために休みを頂いて大分に行ってきました。

素敵な結婚式場での結婚式。


若き日に色々と語り合った友人なので感動も一入(ひとしお)です。

ちなみに今でも若いと思ってますけど。。



住宅を設計するときは常に家族が楽しく気持よく生活している姿を想像しながら設計、住宅以外の建物を設計するときも使う人が笑顔で使っていることを想像しながら設計するけど、人生は喜怒哀楽の連続です。

建築で創りだす空間は人の人生に大きく影響します。
設計によって良い影響を与え、素晴らしい人生が送れる空間を創り出せると信じていますし、設計者が永遠に追求する普遍のテーマなんだと思います。

でも最終的にその空間が本当にいい空間として心に残るかどうかは本人の努力と工夫次第とも思っています。

生きている限り必ず様々な空間と共に生きていきます。
平凡な空間やとんでもない空間であっても、本人次第で良い思い出の空間になるはずです。

これから二人の新しい生活。

どこでもいつでも二人の素敵な空間が作れるように幸あれ!

2010年6月14日月曜日

お帰りなさい。

昨日の晩に地球に帰ってきた 小惑星探査機 はやぶさ。

大々的にニュースになっている通り、新しい技術をテストしながら、惑星イトカワの地表試料を持ち帰ることが大きなミッションです。普通ではミッション断念となる幾つものトラブルや困難にあいながら3年遅れの7年の月日をかけて約60億キロの奇跡の旅。満身創痍になりながら地球に帰還を果たし、採取された可能性のある惑星サンプルの入ったカプセルを地球に放出、はやぶさは役目を終え大気圏で燃え尽きる。

悲しい結末ながらも美しい最後で感情移入してグッときてしまいます。

そして最後のラストショット

最後に地球を見せてあげたいという宇宙機構の方々が予定外の撮影として、2時間かけて姿勢を制御し省エネのために切っていたカメラを再起動して撮影をしたそうです。

写真の構図や宇宙に浮かび上がる地球が美しすぎます。地球の下の白い部分は途中で通信が途絶えて解析出来なかった部分とか。もはや、はやぶさが人のように感情を持っているように思えて泣けてきます。

はやぶさの奇跡を支えたのは技術陣。様々なトラブルに対応する想定をしてはやぶさを設計し、最後まで諦めない努力には頭が下がります。

分野は違えど僕も一端の技術屋。
設計事務所といえば建築デザイナーでデザインだけをするとの印象を持たれますが、建築士は根本的に生命と財産を守るための建築技術屋です。限られたコストの中で地震・風雨・日照・地盤・騒音・火災などの様ざまな事に設計技術で立ち向かっているのです。

同じ技術屋として新しい技術に対する挑戦、様々なことを想定した設計、最後まで諦めない姿勢を見習いたいです。

放出したカプセルに何か入っていればいいなぁ。
映画?も見たくなってきた。
HAYABUSA -BACK TO THE EARTH

2010年6月3日木曜日

幹と枝葉

今日は新宿に用事があったため、途中に新宿中央公園を抜けて目的地まで行きました。

新緑の公園が気持ちいい。都心の公園だけあって様々な人が森林浴を楽しんでいました。


ある言葉を思い出します。
昔に設計は幹と枝葉だと教えられたことがありました。

建物を設計するには住む人や使う人から様々な要望を聞いて設計していきます。人からの要望だけでは無く、周辺環境や環境に全身全霊を傾けて要求されるものを探し出していきます。

求められるものは画一的になることもありますが、その人や環境で重要度が違います。

要望や要求されるものを設計者が幹になるものと枝葉になるものに分けることが重要で難しいのです。

確かに幹がしっかりしていれば木は育つし、美しい新緑や花を見せてくれます。

もう一つ重要なことがあると気づきます。
土壌が良くないと立派な木は育てられないと言う事です。

土壌に当たるもの。それは自分の知識や経験、つまりは自分自身の能力です。
経験は運的なものもありますけど、日々の勉強を怠ってはいい経験も得られないとはよく言ったものです。

冷静に考えれば当たり前の事ですが、立派な木を育てられるように日々土壌を肥やさなければなりません。



ひねくれてもしっかりとした美しい幹を育てていきたい!

2010年6月2日水曜日

工事現場

工事現場でのすごい動画を知人から教えてもらいました。




確かにすごい!

が・・・僕の現場だったら、おまえらそこに直れです。

もう一つ面白いものを。


確かに面白い!
が・・・僕の現場だったら、おまえら明日から出入禁止です。

財産を扱うこの仕事。おふざけではできません。
アイデアは評価しますけど。

このようなかわいそうな現場もあります。


埋立地が日本にも多くあるけど、このような状態になってご臨終になった重機がたくさん有ると聞きます。

昔の会社の先輩が担当していた埋立地で杭を打ったら途中で入らなくなったことがあって、埋立地なのになんでかなー?と調査したら重機が埋まっていたそうです。
一度沈んでしまったら引き上げて整備し直すより埋めてしまった方がコストが安いとか。

ゼネコンさん。環境に悪いのでなんとか助けてあげて下さい!

2010年5月25日火曜日

がりょう

建築用語で「がりょう」という言葉があります。

僕はこの言葉でちょっと興奮します。漢字では「臥梁」。

この臥梁とは、日本ではあまり見られなくなった組積造の建物(レンガやコンクリートブロックを積み重ねて作る建物。3匹の子豚が作ってたような建物。)の場合に、積み上げた壁の頂部に設けられる水平の梁の事をいいます。現在よく見るところではブロック組で構成された塀の頂部にコンクリートで固めたものを見る程度です。

建物や塀の基礎 − 組積(レンガ、コンクリートブロック等) − 臥梁

と組積を挟みこむことで組積を固め、地震や台風時に力が流れても抵抗する力を生みます。

ここで現在レポートしている世田谷の家。
地下はすべて鉄筋コンクリート造なのですが地下外壁の上部には、ぐるりとこの臥梁と同じような機能を持った鉄筋配列がされています。

臥梁、がりょう、臥竜・・臥竜!?
同じ読み方ではないか!

臥竜とは三国志に出てくる諸葛亮孔明がたとえられた言葉。
諸葛亮孔明は言わずと知れた蜀の丞相。軍事・政治の天才で三国志の英雄中の英雄。
世に出ていなかった孔明を劉備玄徳が三顧の礼を持って出迎えたのはあまりに有名。

今の歴女ではないが、このような類の話は男は基本好きである。

世の中に知られていなかった諸葛亮孔明を臥せている龍とたとえられたようだ。
他に伏龍(ふくりゅう)、臥龍(がりゅう)とも呼ばれていたようです。

現代では
臥竜・・・世に知られていない英雄、大人物。
というふうに使われています。

そうえいえば、臥梁も臥せている龍に見えないこともない。

現場に行く度に思うのです。

あそこに諸葛亮先生が寝ておられる。。。おお、先生の上に家が!
などと、ひとり心の中で勝手に興奮しているのです。

2010年5月23日日曜日

日本語

電話で職人さんから相談。

「あの出隅がこうで隅木にぶつかって・・・結局おさまらないってことでどうしますか?」「その入隅をふかしてマグサをかわして・・・・伝わってますか?」「?・・わからん。」というような会話。
お互いに日本語の下手さを反省。

建築は昔からバーチャルリアリティーの世界。頭の中で空間を想像していかなければいけません。空間を把握するためにどんな些細なものや形状に名前をつけてお互いのコミュニケーションを図ってきたのだと思います。建築辞典なる分厚い辞書ができるくらい膨大な名称があります。しかし現代では昔に比べればごく限られた言葉しか使われていません。その代わりに図面を含めた絵でコミュニケーションをとることが発展してきたような気がします。

現代では図面やイラストでお互いの意図を伝えていくことが基本となっているのですが、どうしても差し迫って電話で意図を伝えることもごく稀にあります。
お客様への説明も図面やイラストを見ながらも最終的には言葉を合わせて理解してもらうことが重要になります。

現代に使われる言葉でもっともっと上手に伝えられるように勉強です。

以前に職人さんと3000ミリの天井高でこんな会話。(普段建築の世界ではミリ単位)
「いやここの3000の天井を”ニセン”落としてこうしてあーして・・」
「”ニセン”?なんで?2000も落としたら天井高なくなっちゃうじゃん!」
「いや”ニセン”って2センチってことで・・」

いきなりセンチ単位で話すなよ。しかも略称って・・